2000系が南海本線に転属した経緯
途中から本領発揮できなかった2000系
2000系は特急車両以外で、難波~極楽橋直通の運用、いわゆる「大運転」が行えるという大きな特徴を持っています。ただし、山岳区間を走行するために、車体長が17mという制約上、南海本線・高野線で走行する20m級車両と比べて乗車可能な人数が少なくなり、輸送力が劣ります。
つまり、山岳区間まで直通できるメリットを持ちながらも、混雑しやすいため、ラッシュ時の遅延を引き起こす…といった諸刃の剣というわけです。
そんなわけで、2003年5月のダイヤ改正では朝ラッシュ運用から撤退。橋本以北の運用にも就くようになり、2000系が本領を発揮する「大運転」以外にも駆り出されます。
加えて、2005年10月のダイヤ改正では、山岳区間である橋本以南(橋本~極楽橋)でワンマン運転が開始され、南海高野線では、
- 特急を除いて難波方面からは橋本止まりがメイン(混雑緩和のため4ドア20m級車両が中心)
- 橋本以南はワンマン運転の各駅停車で運行
という状態になります。
その結果、何が起こったかと言うと、2000系は半分近くが余剰となってしまい、一部の2000系は南海本線の車両基地がある羽倉崎に疎開留置され、何もせず、ひたらすらじっと時が流れるのを待っている状態でした。
新天地…というか、南海本線へ
2000系は難波~極楽橋直通の運用、いわゆる「大運転」を中心に使用されていましたが、2005年10月のダイヤ改正で、その役割が激減。高野線用に製造されたにも関わらず、高野線の運用事情が変わったため行き場を失っている状態でした。
ところが、2007年8月のダイヤ変更で転機が訪れます。南海本線への転属です。
これまで羽倉崎で疎開留置されていた2000系を、そのまま南海本線に転属。2000系の南海本線・南海空港線での運行が始まりましたが、高野線で行われていた優等種別による「大運転」とは一変し、南海本線・南海空港線では各駅停車での運行のみとなっています。
…とまあ、ザックリとしてますが、そういった経緯があり、乗車時の混乱を防ぐため、南海本線を走る2000系には「2扉車」という大きなステッカーが掲げられています。
編集後記
「2扉車」ってインパクトあるステッカーだけど、けっこうすき😽
参考文献
『鉄道ピクトリアル No.1017 2023年10月号 【特集】南海電気鉄道』株式会社電気車研究会
『鉄道ピクトリアル No.807 2008年8月号 【特集】南海電気鉄道』 株式会社電気車研究会
『南海電車』 JTBパブリッシング