京阪本線にある香里園駅。
1910年に開業し、ひらかたパークの前身となる「香里遊園地」があった駅としても有名です。
さて、そんな香里園駅ですが、実は”しゃべる”キンモクセイの木がいらっしゃいます。いったいどんなキンモクセイなのでしょうか?
キンモクセイがしゃべる…?
香里園駅にいらっしゃる”しゃべる”キンモクセイですが、実は駅から見えます。
…というか、香里園駅のホーム上からじゃないと、キンモクセイが何をしゃべっているのか確認出来ません。
それがコチラ。
1番線ホームの京都寄りにキンモクセイさんがいらっしゃいます。
どこからどう見ても、何の変哲もないキンモクセイなのですが、このキンモクセイはしゃべってくれます。
ただし、キンモクセイがしゃべっている内容を聞き取れる人は、「謎の勢力に属している謎の力の持ち主しか不可能」と、京阪が察した…
…のかどうかは不明ですが、キンモクセイがしゃべっている内容は、キンモクセイのすぐ隣に設置されている、金属板に日本語で書かれています。
私は、金木犀です。
京阪電車が単車運転時代の社長、太田さんの香里のお宅から、
七連運転の社長 村岡さんの京都のお庭に、
そして、再びこの香里に、帰ってまいりました。
この間、風雪四十年、永い旅路でしたが、
故郷に帰って感無量、懐かしい気持ちで一杯です。
昭和四十三年十月二十四日
文章を見ると、日本語が堪能なキンモクセイさんですね。どうやら、キンモクセイとしての自我もあるようです。また、京阪の歴史について非常に知識が豊富そうです。
キンモクセイさんが仰っている、太田さんは太田光凞社長(1925年就任)、村岡さんは村岡四郎社長(1949年分離独立時の社長)のことです。
太田氏の香里園の自宅にあったものが、村岡氏の京都の自宅に移り、1968年に香里園駅に移植されました。
余談ですが、1968年の京阪は、近鉄京都線との相互乗り入れを中止した年でもあります。
編集後記
キンモクセイというバンドの「二人のアカボシ」と「車線変更25時」が好きです😺🎶