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阪急は専門学校を運営していたことがある?

色々な事業を展開し、私鉄の経営モデルとなった阪急。その事業展開は多岐に渡るものです。そして、多岐に渡る事業展開の一つで、専門学校の運営も行っていました。



阪急が運営していた専門学校

阪急は、百貨店部に教育課がありましたが、その教育課に学校係を設けました。その学校係が、学校を設置します。現代で言うところの、専門学校です。

設立した学校は3つ。

  • 曽根実業専修女学校(1937年4月7日)
  • 園田家庭学園(1938年11月29日、授業は10月から開始済)
  • 池田商業専修学校(1940年4月16日)

体裁上は、あくまでも「社会で活躍するための人材を育てる」という方針でした…が、曽根実業専修女学校は、百貨店の女性店員を育成した状態で入社させるという目的がありました。

曽根実業専修女学校

百貨店部では、女子店員を募集していましたが、未経験から就職しても戦力になるまで時間がかかり、戦力になっても結婚して辞めてしまうという状態でした。

「時間をかけて育ったのは良いが、戦力となって活躍する期間が短い」ということで、阪急は「何なら就職を保証した状態で育てよう」という戦略に舵を切ります。

…が、1944年に曽根女子商業学校となり、戦争協力の方針に転換せざるを得なくなります。そして、学業ではなく、勤労奉仕の学校となってしまいます。

戦後、学校再建を試みますが、阪急自体もボロボロでしたので、曽根実業専修女学校(曽根女子商業学校)は自然消滅しました。



園田家庭学園

曽根実業専修女学校に続いて設立されたのが、園田家庭学園。

「家庭」と名の付くことから察することが出来ると思いますが、洋裁を主とした花嫁修業のための学校です。修行の期間は6ヶ月。

必須科目は修身作法・家事・裁縫・体操・教育、選択科目は音楽・国語習字・割烹・茶華道・手芸があったみたいです😺
まさに花嫁修業ですね😺

1944年に園田女子厚生学園に名前が変わり、栄養指導科・寮母養成科・生活指導科が設置されて、保護指導者の養成所という位置づけになりますが、1945年6月の空襲で全焼。

再建されることなく、学校は解散します。

池田商業専修学校

池田商業専修学校は、池田師範学校付属小学校校舎を買収して、小学校卒業の男子を対象に、商業教育を施す目的で設立されました。

ちなみに、池田商業専修学校の卒業生は、阪急電鉄の社員に採用される道があったそうです。

ただ、曽根実業専修女学校と同様に、戦争協力をせざるを得ない状況になり、1944年に池田工業学校に改称。教育が実施されることはなくなり、教員・生徒は軍需工場などの軍関係作業に従事することになります。

戦後、学校は再建されることはありませんでした。



編集後記

せっかく作ったのに、戦後に消滅してるわね😿

参考資料

「株式会社阪急百貨店25年史」株式会社阪急百貨店社史編集委員会 編

尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第23巻3号

『館報池田文庫 第3号』阪急学園池田文庫

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