阪急電鉄の創設と鉄道を中心とした事業を展開した小林一三氏。その経営手法は各私鉄で取り入れられており、経営モデルを作ったと言われています。
その中で、小林一三氏が電車の中吊り広告を始めた…と言うのが流布されています。しかし、ソーライスの件と同様、中吊り広告に関しては小林一三氏かどうかは不明です。
阪急が中吊り広告を始めた…という話(?)
小林一三氏が独自に始めたモノの一つに、「電車の車内の中吊り広告」が流布されています。
阪急ではグループ内の宣伝を中吊り広告で行い、その後、他社に広告を掲載してもらい、掲載料をもらって収益を得るというビジネスモデルを確立した…と言われています。
そう言われていますが、阪急電鉄の小林一三氏の紹介では、中吊り広告の件については記載されていません。
中吊り広告は阪急誕生よりも前に登場…?
車内広告については、ムサシノ広告社の「広告代理店と交通広告の歴史」で非常にコンパクトかつ分かりやすくまとめられています。
当サイトはそれをなぞりながら、阪急の中吊り広告が日本初なのかどうかを念のため調べるという簡単な作業です。
…で、日本の鉄道で初めての広告は、1878年。乗り物酔止薬「鎮嘔丹」の広告です。「鉄道広告第1号」と言われています。
そこから少し時が経ち、1885年に「中吊り広告のはしり」とされる広告が、馬車鉄道で開始されています。どの馬車鉄道に、どんな広告が掲載されていたのかは不明です。
更に、ムサシノ広告社の「広告代理店と交通広告の歴史」によると、1890年には、
中吊り広告盛んになる。新橋・上野の待合室に広告が設置される。
とあります。ただ、出典元が不明瞭のためエビデンスとしては弱いです。
…弱いですが、ひとつわかることは、阪急電鉄の前身、つまり、箕面有馬電気軌道が開業(1910年)する前から、既に車内の中吊り広告が存在していたということです。
「中吊り広告=阪急が初めて」はいったいどこから…?
となると、「中吊り広告が阪急が初めて行った」という類の話がどこから出て来たのか気になるところです。
阪急の各社史には記載が無く、逸翁自叙伝にも記載がありません。
ソーライス同様、どこかの誰かが噂として広めたことがひとり歩きした可能性があります。
ただ、こういうエピソードについては、発端を突き止めようにも、手がかりがありません。つまり謎案件です。
編集後記
手がかり知ってる人がいたら教えて欲しいです😹
関連リンク
工部省記録 鉄道之部 巻9-13(252頁)|日本国有鉄道総裁室修史課 編(鎮嘔丹の掲載に関する記録)