阪急百貨店のソーライスの話。ご飯だけ注文して、ソースかけて食べてたら…という小林一三氏の逸話のひとつですね。
小林一三氏の生誕150年記念に際して、阪急文化財団がちょっとだけ紹介してたので、件の雑誌を読んでみました。
ソーライス逸話の発端?となる話
阪急文化財団では、小林一三氏の生誕150年を記念してイベントを開催していますが、池田文庫にて、ミニ展示「小林一三生誕150年 小林一三とソーライス -初期の阪急百貨店食堂-」が開催されていました。
その話がどこに書いているかと言うと、月旦社の『人の噂』という雑誌。『人の噂』の第2巻第3号(1931年3月)に、中山治人氏が「小林一三氏と労働者のご飯問答」を執筆しています。
中山治人氏が訪れた時に、10数人の労働者風情の客が、店員と給仕を罵っている光景を見かけたらしく、
客は5銭のごはんを注文(足りないのでおかわりも)
店員「ご飯ばかり食べられたら商売にならない、損する。」
客「メニューにごはん5銭って書いてるやん!別に金払ったらいくら食べてもええやろ!ていうか福神漬け、耳かき一杯って少ないからもっと出せや!」
→埒が明かないので、阪急本社の小林一三氏に直談判(乗り込み)
ということが起こったとのこと。昭和初期ならではの光景かもしれませんが、現代なら入口のエントランスで警備員に静止されてしまいます。
で、客たちは小林一三氏に要望します。
- 定価表に「金五銭御飯」(ごはん5銭)と書いてるから、何人前でも売って欲しい
- 少し福神漬けを多くしてほしい
ごはんの注文を何回でも出来るようにするのは、まあ妥当な主張かもしれませんが、ちゃっかり、福神漬け多くしてくれというのが大阪らしさを感じます(大阪の人間の感想)。
それに対して小林一三氏は、
- 福神漬けをウンと多く乗せる
- ご飯の量をもっと多くする
と約束しました。何故、そんな約束をしたのかというと、1930年に始まった昭和恐慌の影響で、客として来てくれる労働者たちが非常に貧しい状態になっていることを理解したからです。
あれ?ソーライスは…?
いい話…というか、昭和恐慌の影響をモロに受けた人の実情と、小林一三氏の至極まっとうな対応、そして、昔から大阪の人はちゃっかりしてたんだなという話ですね。
ところで、中山治人氏の「小林一三氏と労働者のご飯問答」には、ソーライスの話は出て来ていません。
5銭で食べることが出来るご飯と、福神漬けが登場したのは分かりますが、ソーライスは出て来て無いです。
…というわけで、結局のところ、ソーライスの話はソース無しです。
編集後記
ウスターソースのソーライス、おいしいよ😺🍛
参考文献
月旦社『人の噂』第2巻第3号(1931年3月)
関連リンク
ミニ展示「小林一三生誕150年 小林一三とソーライス -初期の阪急百貨店食堂-」|公益財団法人 阪急文化財団 池田文庫