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【京阪】戦前の京阪が、無償で沿線の土地を寄付した理由

私鉄の沿線開発と言えば、住宅地開発を行い、都市部への通勤で利用してもらう…というパターンが王道でした。

20世紀初頭、阪急の住宅地開発を皮切りに、他の私鉄もそれを真似して、利用者を増やすという戦略を進めましたが、京阪は時代の流れによる不運が重なり、ちょっとだけ違う手法で沿線開発を行いました。




京阪に降りかかった、土地開発の不運

1910年に開業した京阪は、大阪と京都を結ぶ都市間輸送がメインでしたが、他の私鉄の例に漏れず、沿線の土地経営に乗り出します。

しかし、京阪の開業まもなく、香里園を中心に事業を展開しようとするも、あまり利益を上げることが出来ず、そして、本業の業績が振るわない時期が続いたため、せっかくの沿線の土地を手放します

ところが、1914年のサラエボ事件を発端とした第一次世界大戦によって、連合国側で参戦した日本は、国内が好景気になり、一度は土地経営を諦めた京阪も、もう一度、土地経営に乗り出します。

京阪が開業後に手放した香里園の土地はというと、1919年から香里園土地建物という会社によって開発が始まっていましたが、これが見事に失敗。帝国信託と社名を変更し、土地の分譲を専門に行っていました。



1920年、今度は芦屋土地株式会社という会社が、「香里園に上水道を引き込みませんか」という提案を京阪に行います。この芦屋土地が建設する上水道、後の寝屋川市上水道になるのですが、上水道が整備されたら住宅地の開発にワンチャンあるかも?と、京阪は考え、京阪は芦屋土地に融資します。

しかし、1922年に上水道は完成したものの、第一次世界大戦後の好景気の揺り戻しで日本の経済は不況になり、結局のところ、香里園の住宅地開発は頓挫します。

これだけ聞くと、香里園が呪われてるんじゃないかと思うレベルですが…


住宅開発を諦め、誘致作戦に方針転換

住宅がだめなら学校を誘致すれば良いじゃない…タダで!

ここで京阪は住宅開発を諦め、誘致に切り替えます。しかも無償で土地を寄附してまで。そして主に誘致したのは学校でした。

京阪の社史に記述されている誘致実績を並べると以下の表になります。

主な誘致施設(カッコ内は現在名) 路線 最寄駅 誘致年
大阪高等医学専門学校(大阪医科大学) 新京阪(現・阪急京都線) 高槻町(現・高槻市) 1927年
京都帝国大学農学部付属農場 新京阪(現・阪急京都線) 高槻町(現・高槻市) 1928年
大阪歯科医学専門学校(大阪歯科大学) 京阪本線 牧野 1928年
大阪高等女子医学専門学校(関西医科大学) 京阪本線 牧野 1928年
私立大阪美術学校(御殿山生涯学習美術センター) 京阪本線 御殿山 1929年
大阪高等女子医学専門学校附属病院(関西医科大学総合医療センター) 京阪本線 滝井 1932年
京都府立女子専門学校(京都府立大学) 新京阪(現・阪急京都線) 1933年
浪華高等商業学校(大阪経済大学) 新京阪(現・阪急京都線) 上新庄 1934年
高等成蹊女学校(大阪成蹊女子高等学校) 新京阪(現・阪急京都線) 相川 1934年
浪速工学校(星翔高等学校) 新京阪(現・阪急京都線) 正雀 1941年
上記表は誘致当時の最寄り駅を記載しています。
例えば、2021年現在、浪華高等商業学校(大阪経済大学)の最寄り駅は、大阪メトロ今里筋線の瑞光四丁目駅ですが、今里筋線の開業は2006年のため、上記表には掲載していません。

現在の阪急京都線への誘致は、当時、京阪の子会社であった新京阪が行っていました。

京阪沿線・阪急京都線沿線の方なら誰もが一度は聞いたことある名前ばかりの学校や病院です。

これらほとんど全て、土地を無償提供して誘致しています。中には、駅を新設するという条件を付けて誘致した学校もあるくらいなので、京阪が凄まじい注力で誘致したことがわかります。


イメージアップで住宅開発につなげる

上記の様に、京阪が無償で学校や病院を誘致したのは、ちゃんとした戦略があってこその無償誘致です。その理由は、

  • 運賃収入
  • 電力収入
  • イメージアップ

の3つでした。

まず、学校や病院など、公共性のある施設を誘致することで、安定した運賃収入と電力収入を確保出来ます。

運賃収入と電力収入を得るだけであれば、工場やオフィスビルでも良いのですが、京阪は敢えて公共性のある学校や病院などを誘致しています。これが京阪の戦略で、誘致の際に重要視したのがイメージアップです。

文化的教養のある施設が沿線に並んでいると、車窓から見た時に雰囲気がよさそうな印象を受けます。また、工場やオフィスが多い沿線よりも、学校や病院が多い沿線の方が、住宅を売り出す時に「学校や病院も近いですよ」というファミリー向けのセールストークにもつながります。

こうして、京阪は沿線のイメージアップ作戦が功を奏し、徐々にですが宅地開発も進めていくことが出来るのでした。


ある意味、渋沢栄一の精神を受け継いでる?

これはあくまでも私見ですが、京阪の沿線開発の転換については、京阪の創業に携わり、京阪開業前まで相談役として名を連ねた渋沢栄一の精神を受け継いでいるのかもしれません。

渋沢栄一は、公共性のある事業国家繁栄に繋がる事業については積極的に投資を行っています。その一つが鉄道です。また、学校や病院など、社会にとって必要不可欠な役割を持つ団体も、自ら設立したり、共同出資をしています。

会社設立時の資金集めで出資者を募る時も、渋沢栄一の考えを理解した人たちに投資を募っています。もちろん、京阪もその一つ。

渋沢栄一は、実際の事業運営を、渋沢栄一の考えを理解している人に任せることが多かったので、渋沢栄一の精神が後年になって、京阪の沿線開発で花開いたのかもしれません。


編集後記

車両技術の発想や、斬新なアイデアの列車を生み出すことが凄い京阪ですが、沿線開発の発想も凄いですね😺

参考文献

『75年のあゆみ』 阪急電鉄株式会社

『京阪70年のあゆみ』 京阪電気鉄道株式会社

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