チェーン店の牛丼屋や駅のソバ屋などに行くと、ほとんどのお店で目にする食券。券売機が店の入り口付近に設置されていて、そこで食券を購入した後に、食券をカウンターに持っていき、食べ物と交換する…というのは、多くの人が経験していると思います。
食券前売制度という仕組みですが、実はこれ、阪急百貨店が導入したものです。
阪急百貨店で食券を導入
1930年(昭和5年)に阪急百貨店の食堂で食券前売制度を導入しました。
食券前売制度というのは、店に入って注文し、代金と引き換えに食券を受け取り、その食券と料理を引き換えるという仕組みです。
当時、日本中の飲食店に食券というものが存在していなかった1ので、物珍しさもあり、多くの人が食券を見に食堂に訪れたとも言われています。
阪急百貨店で食券前売制度が上手く機能したため、他の百貨店や食堂でも食券前売制度を導入するようになりました。
何故、食券前売制度を導入した?
阪急が日本で初めて導入した食券前売制度ですが、導入した理由は災害発生に伴う損失の回避が理由です。
災害発生時の食い逃げ
阪急百貨店で食券導入のキッカケとなったのは、1927年(昭和2年)3月7日の丹後大地震。発生時間は午後6時28分。夕食時のことです。
地震が発生したら、まずは身の安全が第一ですので、もちろんみんなが避難します。しかし、食事中に避難したこともあって、食事代を支払わずにそのまま帰ってしまう人が大勢いました。
この時、阪急百貨店の阪急食堂では回収不能代金(非常時食い逃げ)が60円35銭が発生してしまいます。一皿平均が約30銭の時代でしたので、およそ200食分の食事代を回収できなくなりました。
また、昭和4年3月3日に発生した、梅田郵便局の火災でも、丹後大地震の時と同様に回収不能代金が発生しています。
阪急の対策
阪急百貨店は「安くて良い品を多くの人に」というスタンスで事業展開していましたが、流石にボランティアをしているわけではないので、非常時食い逃げをされてはたまったものではありません。
そこで、非常時に発生する回収不能代金をどうするか、という対策を立てました。それが今日では当たり前になっている、食券前売制度です。
先に代金を支払ってから食事をする仕組みであれば、理由はどうであれ、結果的に食い逃げされてしまう、ということを防げます。
編集後記
もっと昔から食券というものがあったかと思いきや、昭和初期に食券が出現したとなると、食券の歴史というのは(歴史的には)意外と最近の話です😺📖
そして、食券を売るための券売機も、今ではどこの飲食店でも設置されているので、食券の券売機市場を作り上げたという副次的な産業創出にもつながっていますね😺💰
参考文献
『株式会社阪急百貨店二十五年史』 株式会社阪急百貨店社史編集委員会 編
『株式会社阪急百貨店50年史』 株式会社阪急百貨店 50年史編集委員会 編