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【阪急vs阪神】灘循環電気軌道が引き金になった、阪神・阪急の合併話

大阪~神戸間での新線敷設の特許を認可された灘循環電気軌道。会社設立もままならない状態で阪神に買収提案を提示しますが、交渉は失敗し、最終的には阪急のバックアップによって、会社設立に至ります。

一方、灘循環電気軌道の買収を受け入れなかった阪神は、競合路線の誕生を許してしまうことになりました。

そして、阪神と阪急、一部の役員の間で不穏かつ壮大な話が進められていました。




灘循環電気軌道の設立と、阪急の神戸進出

本記事は1912年末以降の内容ですが、説明の便宜上、箕面有馬電気軌道(現・阪急の当時の社名)を阪急と記しています。

簡単なおさらい

大阪~神戸の間で、灘循環電気軌道の敷設特許が認可されましたが、

  • 灘循環電気軌道は阪神に買収合併の交渉を持ちかけるも失敗
  • 阪急は灘循環電気軌道と接続して神戸への進出を画策
  • 阪急と灘循環電気軌道の利害が一致し、灘循環電気軌道が会社として設立される

ということになりました。

気になる方は前回の記事も読んでね😺📝

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灘循環電気軌道は阪急にサポートしてもらい会社設立に至ったということもあり、灘循環電気軌道の役員には、阪急の役員が就任にすことになりました。

このことにより、「灘循環電気軌道が開通しても、そんなに影響はない」と軽んじていた阪神は、競合の出現を許してしまうことになったのです。


阪急がいよいよ神戸進出へ

さて、灘循環電気軌道の設立をサポートした阪急は、1913年2月3日に十三~伊丹~門戸(現・門戸厄神)の路線の認可がおります。

ただし、灘循環電気軌道は設立に際して、阪急からバックアップを受けていましたが、北浜銀行からも会社設立に必要な巨額の融資を受けていました。

その返済のためにも一刻も早く、阪急は十三~伊丹~門戸を、灘循環電気軌道は西宮~神戸の路線を開業する必要に迫られていたのです。

ちなみに、灘循環電気軌道が、北浜銀行から借りていた会社設立の費用は15万円。現在の貨幣価値に換算すると、6億円にもなります。



阪神と阪急、合併案の浮上

阪急と灘循環電気軌道が現在の阪急神戸線の開業に向けて準備をしていたウラで、実は、阪神と阪急の経営陣が極秘で接触していました。

何を話していたのかと言うと、阪神と阪急の合併です。

近畿一帯の大合同

この阪神と阪急の合併話、突然出て来た話ではなく、阪急が開業した後から、練られていた構想の一つです。

小林一三の『逸翁自叙伝』でも記載されていますが、

先づこの会社(灘循環電気軌道)を買収又は共同経営により、箕面電車西宮線と連絡して阪神電車を包囲する。更に京阪電車と箕面電車を連絡せしむる線路の認可を得て、そして京阪神、近畿電鉄を統一する合同計画に就いて想を練ったものである。

―『逸翁自叙伝』より

という構想がありました。

最終的な目標は、近畿一体に広がる大きな鉄道網を計画しており、その第一段階として、阪急によって灘循環電気軌道を引き込んだ後、阪神を包囲。その後、阪急と京阪が手を結んで京阪神の鉄道網を構築し、近畿一体の私鉄を合同する、壮大な計画です。

ただし、軌間や電圧などのインフラ、車両限界や建築限界などの物理的なハードル、そして各社の社風・企業文化といったものが個々に醸成されているため、法律的に一つの会社にまとまったとしても、経営が成り立つのかどうかも不明です。現代で言えばみずほ銀行の事例の様なものです。

ただ、岩下清周に至っては、自らが取締役を勤める阪神を中心とした合併統一を考えていました。また、北浜銀行頭取としての立場である岩下清周からすれば、阪神が、田舎電車として揶揄されていた阪急を吸収する方が、銀行視点で見ると安全だったということもあります。


阪神と阪急首脳による極秘交渉

阪神と阪急の合併話が出て来たのは、1913年末でした。

阪急社長兼阪神取締役の岩下清周が、阪神の専務取締役・今西林三郎、取締役・片岡直輝、取締役・小川為次郎に対して合併話を持ち掛けます。内部で役員人事も決められており、小林一三も、岩下・今西と会談した際に、阪神の常務取締役を打診されます。

この合併案に小林一三が反対!…したわけではありません。

事実として、業績打開のための神戸線開業の見通しが立たない阪急が阪神に吸収されて、合併後に小林一三自信が阪神の重役になれることを期待していました。また、小林一三も、岩下同様に近畿一大の鉄道網を構想していたので反対はしませんでした。

そして、1914年1月、阪神・阪急に加えて、灘循環電気軌道による三社合併の覚書が交わされ、合併が現実味を帯びてきました。


合併破談

株主説得の失敗

さて、阪神と阪急、そして、灘循環電気軌道を加えた合併の話、実は、役員全員が賛成しているわけではありません。というか、そもそも役員全員が知らされていませんでした

合併の話が表面化すると、阪神の取締役である、小曽根喜一郎をはじめとする取締役3人が反対。また、阪神の有力株主で構成されている「阪神会」の反発もあり、これに専務の今西が説得にあたるも失敗します。

阪神の経営陣は、阪神会から、

「あんな、そんなんやるよりも、今やってる工事(北大阪線)、はよ終わらせて開業させえや🐯ブチギレ」
(日本語訳:阪急との合併よりも、大量に資金を投入している、現在進行中の北大阪線の工事を早期に完了させ、北大阪線を開業させることを優先するべきです。)

と主張され、阪神役員はぐうの音も出ません。

また、阪急側の株主からも、

「お前、阪神の操り人形になるとか、そんなんありえへんやろ!😾ブチギレ」
(日本語訳:我々は決して阪神の操り人形になりたくはありません。)

という声があがり、説得を断念します。

一般的に考えれば、合併などの大きな事案がある場合、役員が一致して株主説得に臨むのですが、阪神の役員の間で意見が割れている状態です。その状態で株主の説得が成功するはずがありません。

また、阪神・阪急共に新線の建設中なので、そんな中で合併するのは時期尚早ということもありました。


その後

さて、合併案が株主から猛反対されましたが、その後、1914年4月25日、阪神の株主総会で、「合併の話、どうなったんや?」と心配する声が株主から上がります。

専務の今西は、

「合併問題は進行していません。(中略)合併自体に損が無いと思ったのであります。これは灘循環線(神戸~西宮)・十三線(十三~伊丹~門戸)が完成した時に、当社に少なからず影響を及ぼすことになるので、調査してましたところ、図らずも、世間に不同意の声もあるみたいでしたので、今は全く中止しています。しかし、いつ、時勢の変遷により、いかなる様になるか不明です。」

と答えています。

とにかく、「合併は中止になった」「これから先どうなるかわからない」ということを株主に説明して、合併話はおしまいになりました。


編集後記

灘循環電気軌道の設立後、合併話まで出て来た阪神と阪急ですが、この後、更にとんでもない事態になってしまいます😺💣

参考文献

『75年のあゆみ 記述編』 阪急電鉄株式会社

『阪神電気鉄道八十年史』 日本経営史研究会編

『阪神電気鉄道百年史』 橘川武郎著

『逸翁自叙伝』 小林一三

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