阪急千里線の南千里駅から、阪急箕面線の桜井駅まで延伸する計画があった…という話。
「実は…」みたいな書籍や記事が度々ピックアップされるので、当サイトでも取り上げますが、淡々としたメモにしておきます。
いつものことですが、読み手ガン無視です。また、阪急の社史と私人が入手可能な資料を閲覧したレベルの調査ですので、情報の欠落や偏りがあると思います(別に予防線を張ってるわけではなく、沼過ぎるので妥協しています)。
なので、興味のある方だけ暇つぶしに見て下さい。それと、長文記事なので隙間時間の閲覧に適していません。じっくり読みたい方はブックマークしてまとまった時間で読んだ方が良いと思います。
千里山駅~南千里駅~桜井駅の構想概要
千里山駅~南千里駅までの延伸
南千里駅から桜井駅を結ぶ路線を敷設しようという話ですが、阪急電鉄の社史である『75年のあゆみ 記述編』 の61ページに記載されています。そこには、
千里山線の延長、ニュータウン乗り入れの要望を受けた当社は、すでにこの頃、北摂一帯の開発に関する青写真をすでに持っていたが、大阪府からの千里ニュータウンのための千里山線延長の申し入れを受け入れ、府側と協議に入った。
当社は、一応府の要望通り千里山駅より千里ニュータウンの南部に1.5km延長したのち、そこから独自の計画として、西北に進み、箕面線の桜井まで、ほぼ直線で延長する計画を持っていた。この延長の狙いは、千里ニュータウン住民の足の確保のほか、すでに輸送力が限度に達していた宝塚線のバイパスとしての役割を持たせようというものであった。
慎重な協議のうえ、昭和36年12月、当社は千里山―桜井間7.76km の免許を取得、昭和37年8月、大阪府と路線計画、建設工事の進め方等に原則的な意見の一致を見た時点で、とりあえず第一期工事として千里山―新千里山(現南千里駅)間の工事が開始されたのである。―『75年のあゆみ 記述編』 61~62ページ より引用
と記載されています。
ちょっと難しそうに書かれていますが、簡単に言うと、
- 大阪府:千里山駅から千里ニュータウンに延伸して欲しい(要望)
- 阪急:南千里駅まで延伸して、箕面線の桜井駅まで直線でつなぐ(宝塚線の混雑緩和が目的)。
- 大阪府と阪急の合意:とりあえず、千里山駅から南千里駅まで延伸工事。
ということです。敷設免許の範囲は、千里山駅~桜井駅です。
なので、現在の千里線は北千里駅に伸びていますが、当初は千里線・千里山駅から南千里駅を通り、南千里駅から箕面線の桜井駅まで到達させるというのが阪急側の目論見だったようです。
延伸計画の変更(というか追加)
千里山駅から新千里山駅(南千里駅)まで延伸・開業したのは、1963年8月29日。その後、新千里山駅(南千里駅)から桜井駅までの延伸工事の準備をしていたみたいですが、話が変わって来ます。
(前略)ところが、大阪府の住宅造成は東寄りから開始され、ニュータウン内の北センター付近に重点が置かれたために当社の免許線である新千里山―桜井間からかなりの距離が生じることとなった。さらに、府は、今後の計画として、ニュータウン東北部の古江台、青山台、藤白台を中心とした地区の開発を打ち出し、新延長線を北センター経由桜井にいたる路線に変更するよう要請してきた。
(中略)しかもそのキロ程は、既免許線に比べて約3km増加し、宝塚線の分散輸送の効果をいちじるしく阻害するものであった。
大阪府との折衝は絶え間なく続けられた。その結果、ついに既免許線は従来通りとし、新たに新線敷設の免許を得て、それを支線とすることにより、大阪府の要望に応えることとした。―『75年のあゆみ 記述編』 63ページ より引用
またまた難しそうに記載されていますが、
- 阪急:南千里駅から桜井駅の延伸準備する。
- 大阪府:延長線(南千里駅~桜井駅)のルートを北センター(現在の北千里)経由に変えて欲しい。
- 大阪府と阪急の合意:南千里駅~桜井駅の免許は残して、北千里駅までの免許取得。
ということ。阪急側の記述なので一方的な感じですが、結果的に阪急が折れたことになります。1965年1月25日に免許申請し、認可が下りたのは1965年10月29日でした。
ちょっとミソなのが、北千里駅までのルートを支線扱いとしているところ。阪急としては南千里駅~桜井駅のルートを諦めていない状態で北千里延伸を進めたということになります。
延伸ルートは?
千里山駅から南千里駅を通って桜井駅に到達する延伸ルートですが、延伸の免許申請時のルートは閲覧が難しいです。というか、正直なところ、免許申請内容の閲覧方法が不明でした。
阪急の社史『75年のあゆみ 記述編』および『100年のあゆみ 通史』に記載があるので、それを参考に延伸ルートを描いてみました。
ザックリこんな感じ。
南千里駅を起点として、千里3号線の道路(地図の青色)を交差してから新御堂筋を交差して、桜井駅方面に伸びています。現在の千里中央駅よりも北側に敷設する計画でした。
ただ、阪急の社史では、中途半端なところまでが図で表現されており、新御堂筋から桜井駅までの詳細なルートは不明です。免許申請内容の閲覧方法が分かれば、より詳細な延伸ルートが描けると思います。
ちなみに、具体的にどこに駅を設置する記述は、阪急の社史では確認できませんでした。
免許失効はいつ?
当初の計画では千里山駅~桜井駅の免許を申請していますが、結果的に千里山駅と南千里駅を建設した後で北千里駅への延伸に切り替わったので、南千里駅~桜井駅は敷設されませんでした。そのまま放置して、現在も免許を維持している…わけではありません。既に免許は失効しています。
では、免許失効はというと、阪急の社史には免許失効の記載が見当たりません。理由は不明です。
阪急の社史には記載が見当たりませんが、千里山駅~桜井駅の免許失効については、『私鉄統計年報 昭和47年度』に記載があります。ただし、『私鉄統計年報 昭和47年度』だけは各図書館のデジタルアーカイブにおいては何故か閲覧不可です(2023年7月時点)。
なので、原本を図書館内で閲覧するしかありません。というわけで、行ってきました。大阪市立中央図書館に。
『私鉄統計年報 昭和47年度』の附表で、免許失効についての記載があります。館内閲覧に限定されている時点で、どうやら取り扱いがやばそうなので、そのままコピーして画像掲載はせずに、当サイトで表にしてみました。
事業者名 | 区間 | キロ程 キロメートル |
動力 | 軌間 メートル |
許可年月日 | 廃止実施年月日 | 備考 |
京阪神急行電鉄 | 南千里~桜井 | 6.2 | 電気 | 1.435 | 昭47.12.27 | – | 未成線 |
(『私鉄統計年報 昭和47年度』294ページより京阪神急行電鉄のみ抜粋して作成) |
というわけで、免許失効は1972年12月27日、ということです。
千里中央駅を通る?
この話になると、どういうことか理由はわかりませんが、「千里中央駅を経由」といった不思議な表現が用いられることが度々あります。
誰でもお手軽に閲覧できるWikipediaを確認すると、阪急千里線のページの歴史の項では、
新千里山からは千里中央駅を経由して桜井へ向かう北西方向へのルートをとる予定であったが、大阪府からの要請によりルートを変更して北方向の北千里へ延伸することになった。
とありますが、少し不思議な記述です。
というのも、千里山駅~桜井駅の免許申請は、1961年(昭和36年)12月の話で、この時点で千里中央駅は影も形もありません。
北大阪急行の江坂駅~千里中央駅(万博博中央口駅)の認可を申請したのは1967年。そもそも、日本の万博誘致の話が出て来たのは1963年9月、万博開催が決定したのは1964年5月のことです。なので、万博の話が出る前(1961年)に千里山駅~桜井駅の免許申請が行われています。
ちなみに、LIFULLの「1,100人に大調査!「実現してほしかった未成線ランキング(関西編)」をLIFULL HOME’Sが発表」の3位に「【3位】北摂エリアを一周し、新大阪駅へ向かう「阪急新大阪千里環状線」」があります。そこには南千里駅から千里中央駅を経由して桜井駅に到達する様な図があります。先述した通り、千里山駅~桜井駅の免許申請をした時点で千里中央駅は存在しません。
そして先述した通り、延伸ルートは現在の千里中央駅よりも北側を走る予定でしたので、現在の千里中央駅は通っていないです。表現の話をすると、「現在の千里中央駅付近」というニュアンスならギリギリセーフかもしれません。
環状線構想?
これまた、LIFULLの「1,100人に大調査!「実現してほしかった未成線ランキング(関西編)」をLIFULL HOME’Sが発表」の「【3位】北摂エリアを一周し、新大阪駅へ向かう「阪急新大阪千里環状線」」ですが、
大阪北部の千里ニュータウンや新大阪駅を循環する環状線の計画が形作られました。
―LIFULLの「1,100人に大調査!「実現してほしかった未成線ランキング(関西編)」をLIFULL HOME’Sが発表」より
とあります。尚、LIFULLの該当記事に環状線についての出典は記載されていません。
この環状線の計画の話、出典どこやねんって状態です。もし、出典をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えて頂ければ幸いです(たぶん、この手の話は探すのに物凄い労力が必要と思います)。
北千里駅から桜井駅の延伸は?
たまに見かける北千里駅~桜井駅の延伸に関する話。
「北千里駅のその先に待避線があるので、そこから桜井駅への延伸の余地を残していた…」みたいな話ですが、正直わかりません。
少なくとも、阪急の社史には延伸構想等の記載が見当たりません。その時点で調べるのを諦めました。いつの事なのか、誰が言い出したのかも不明。手掛かりがない状態で調べるのは非常に困難です。
何か根拠となる情報を知っている方がいらっしゃいましたら、教えて頂ければと思います。
今後、継続して調べること
以下3つは継続して調べます。Twitterアカウントに情報頂ければありがたいです。
- 延伸ルートの詳細
- 環状線構想
- 北千里駅からの延伸
延伸ルートの詳細はどこかにありそうな気がします。現在の千里中央駅を通過しないことは確定しているので、そこから先、桜井駅までのルートが知りたいですね。
「環状線構想」と「北千里駅からの延伸」については、結果的に時間の無駄になるかもしれません。あまりこんなことを言いたくはありませんが、もしかしたら悪魔の証明に近い気がします。
タイムライン
一応タイムラインも載せておきます。
- 1961.02.01千里線延伸の免許申請地方鉄道敷設免許申請書提出(千里山~桜井)
- 1961.12.26千里線延伸の免許取得千里山~桜井の延伸が認可される
- 1962.02.27工事施工の認可申請鉄道敷設工事施工認可申請書提出(千里山~新千里山(南千里))
- 1962.07.03工事施工の認可千里山~新千里山(南千里)の工事が認可される
- 1962.08.10着工千里山~新千里山(南千里)の工事開始
- 1963.08.29竣工・開業千里山~新千里山(南千里)の工事完了。千里線が新千里山駅(南千里駅)まで延伸。
- 1965.01.25千里線延伸の免許申請地方鉄道敷設免許申請書提出(新千里山(南千里)~北千里山)
- 1965.10.29千里線延伸の免許取得新千里山(南千里)~北千里山の延伸が認可される。
- 1965.12.11着工新千里山(南千里)~北千里山の工事開始
- 1967.03.01竣工・開業新千里山(南千里)~北千里山の工事完了。千里線が北千里駅まで延伸。
- 1967.07.28【北大阪急行】江坂~万博会場の免許申請地方鉄道敷設免許申請書提出(江坂~万国博会場)
- 1967.10.13【北大阪急行】江坂~万博会場の免許認可江坂~万国博会場の延伸が認可される。
千里中央駅が登場するのは万博誘致後に浮上した北大阪急行の建設を待つ必要があるので、千里山駅~桜井駅の免許申請を提出した時点で「千里中央駅を経由する計画」というのは存在しません。北千里までの延伸が完了した後に北大阪急行の敷設免許が提出されているので、「千里中央駅を経由」するのは不可能です。
参考文献
『75年のあゆみ 記述編』 阪急電鉄株式会社 編
『100年のあゆみ 記述編』 阪急電鉄株式会社 編
『私鉄統計年報 昭和36年度』運輸省鉄道監督局
『私鉄統計年報 昭和47年度』政府資料等普及調査会
『北大阪急行25年史』北大阪急行電鉄
『北大阪急行50年史』北大阪急行電鉄