「阪急」という名前は「阪急電鉄」のことを指します。創業は110年を超えている歴史ある企業です。
ところで、「阪急」という名前は広く知れ渡っていますが、どうやら、「阪急電鉄」が最初に「阪急」を名乗ったわけでは無さそうです。
「阪急」と初めて名乗ったのはいつなのか?
ご存知の方も多いと思いますが、阪急電鉄が最初から「阪急」と名乗ったわけではありません。阪急電鉄の社名の変遷は以下の通りで、阪急電鉄という会社名称が登場するのは1973年です。
- 箕面有馬電気軌道:1906年1月15日~1918年2月3日
- 阪神急行電鉄:1918年2月4日~1943年9月30日
- 京阪神急行電鉄:1943年10月1日~1973年3月31日
- 阪急電鉄:1973年4月1日~現在
なので1973年から「阪急」という略称が正式に法人として成立したわけですが、それ以前から「阪急」という略称が新聞・雑誌・書籍等の媒体で使われています。
まあそれは良いとして、個人的に勝手に気になっているのが、阪急電鉄含め、阪急グループが「阪急」と名乗り始めたのはいつ頃なのかという点です。
というわけで、阪急電鉄の社史である『阪神急行電鉄二十五年史』『京阪神急行電鉄五十年史』をひたすら読み進めて、阪急という名称の初出をたどります。
初出は1920年?
恐らくこれが「阪急」という名称の初出だろうと考えられるのが、『阪神急行電鉄二十五年史』の年譜9ページに記載されています。そこには、
1920年(大正9年)11月1日
「阪急ビルデイング舊間竣工シ事務所ヲ同ビルに移轉ス」
(阪急ビルデイング旧館竣工し事務所を同ビルに移転す)
とあります。すなわち、阪急が「阪急」を自称した初出と考えられるのは、阪急ビルデイングという建物です。
阪急ビルデイング(阪急ビル)というのは、現在の大阪梅田ツインタワーズ・ノース(2022年3月31日まで梅田阪急ビル)の少し南東にあった建物です。
阪急ビルデイングには、当時の電鉄事務所の他、1階には白木屋、2階には直営の食堂がありました。
1920年以前に建物・組織・地名で阪急と名の付くものが社史には無かったので、「阪急」を名乗ったのは、阪急ビルデイングという建物が初出の最有力候補と考えられます。
法人としては?
ただ、阪急ビルデイングは、名乗ったというよりも、ビルを建設した「阪神急行電鉄」が名付けたという感じがします。
名乗ったというのは、組織や団体が自称したという意味合いの方がしっくりきます。ということで、法人としての「阪急」という名称の初出はいつごろなのかを調べます。
『京阪神急行電鉄五十年史』の291ページから傍系会社の一覧が記載されています。なので、これをひたすら読み進めるしかありません。
と言う訳で、読みました。どうやら、1941年(昭和16年)2月1日に株式会社宝塚植物園から阪急園芸株式会社と改称したことが、法人としての「阪急」の初出のようです(292~293ページ)。
尚、阪急園芸株式会社は、1995年に株式会社クリエイティブ阪急に改称しています。2010年にはクリエイティブ阪急は分割・譲渡が行われており、結果的に、
- 阪神園芸大阪支店のクリエイティブ阪急事務所として吸収
- 園芸販売部門はジャパン・フラワー・コーポレーションに事業譲渡され、クリエイティブ・フラワー・コーポレーション株式会社
となっています。
編集後記
もし「こっちの方が先に阪急って名乗ってるよ!」って知ってる方がいらっしゃいましたら、ねこTwitterまで連絡頂ければ嬉しいです😺
参考資料
『阪神急行電鉄二十五年史』阪神急行電鐵
『京阪神急行電鉄五十年史』京阪神急行電鉄株式会社編纂
関連リンク
会社案内|クリエイティブ・フラワー・コーポレーション株式会社