阪急と言えば伝統的にマルーン色(茶色・栗色)の車体のイメージですが、6300系からは車両の屋根肩部分にアイボリーが入りました。
1988年以降の新造車両はアイボリーが施されるようになり、以降、5000系および6000系以降の車両でも屋根肩部分にアイボリーが塗装されるようになります。
しかし、何故、アイボリーが採用されたのでしょうか?
6300系から採用されたアイボリー
6300系で採用された屋根肩部分のアイボリーについては各所で取り上げられていますが、共通して、
- 特急車両のイメージを強調(他の車両と区別)
- 白(アイボリー)はマルーンの車体色を引き立たせる
と言及されています。
アイボリー(白色)の採用については、スイスの登山鉄道が発想の原点とされていますが、具体的にどの車両なのかは不明です。
1975年~1988年までに採用されたアイボリーの色番号は「2.5Y 8.5/1」で、1988年以降のアイボリーは「2.5Y 8.5/1.5」1で、アイボリーにも若干の変化が見られます。
マルーンの色を引き立たせるという意味では、アイボリーは役者として打ってつけです。これが他の色、例えば、マルーンに近い茶色の相対色である水色だと、(主観ですが)何とも言えない感じになります。
白黒(モノクロ)にした時に白系統が見えやすい
阪急公式および阪急関係者の書籍・寄稿では、上記をアイボリー採用の理由としています。
ところが、もう少し掘り下げてみると、当時の経営陣や担当者が意図したかは不明ですが、「白黒(モノクロ)写真を掲載した時の見栄えを考慮した」とも考えられます。
鉄道車両が掲載されるのは主に雑誌、もう少し厳密に言えば鉄道趣味誌です。
モノクロページでの見栄えとしては、アイボリーが映えるのが分かります。アイボリーが施されている車両(とりあえず6300系)をモノクロにしてみます。
モノクロにおいてマルーンをはっきりと認識は出来ませんが、屋根肩部分の白(アイボリー)はっきりと認識できます。
現在でこそ、雑誌のカラーページが増えましたが、全ページがカラーというのは写真集や画集レベルです。鉄道趣味誌でもカラーページが増えていますが、過去に発行された号に遡るとカラーページよりもモノクロページが多いです。
新聞も現在はカラーページが増えましたが、6300系が登場した当時の1975年では、カラーページは多くありませんでした。もっとも、鉄道車両が新聞に掲載されるのは、広告欄が多くなるでしょう。新聞の広告欄は、広告主のジャンル問わず、現在でもモノクロが多いです。
とは言え、そこまで考慮してアイボリーが採用されたのかは不明です。少なくとも、6300系は阪急の広告塔として外部に出ることが多かったため、写真の写り具合も気にしてデザインされたと考えれるのではないでしょうか。
その他にも効果が…?
屋根肩部分のアイボリーはモノクロ時の写り具合だけではありません。
例えば、車両前面には種別・行先表示にかかるようにアイボリーが施されているため、種別・行先表示がより強調されます。
また、早朝や夜間など、日光が出ていない時間帯でもライトに照らされると、白(アイボリー)は目立つので、向こうから走ってくる車両が6300系だと分かりやすいです(現在はアイボリーを施している車両が多いので意味は無さそうですが)。
とは言え、阪急上層部がそこまで考慮していたのか、今となっては不明です。
編集後記
フルマルーンもアイボリーあるのもすき😽
参考文献
『電気鉄道 = Electric railways. 29(11)(330)』 鉄道電化協会
『阪急電車』山口益生著 JTBパブリッシング
『鉄道ピクトリアル No.837 2010年8月臨時増刊号 【特集】阪急電鉄』 株式会社電気車研究会
関連リンク
『各務原の色「色彩の基礎知識」』|各務原市(マンセル番号についての検索結果)